| 和井 恵さんのメッセージ(#3195)への返事
> それは「私と同じ説明」ではありませんね(笑)。 > その説明は、「完全にその人の人生は、カルマによって100パーセント決定(確定) > してしまっている」と言っているのではありませんか? > 「台本」に書かれている、というのは「そう言う意味(確定論)」なのでしょう? > > 私の説明は、一応「相手が過去に為した行為の範囲内」での「選択しかできない」と > いう、個人が出来る行為に「ある程度の幅(選択支)」を持たせてあります(笑)。 > ですから、別に「決まった台本」があるわけではありません。 > でも、まぁ、「考え方」としては、五十歩百歩なのかな…
そうですなあ。 まあ表現法としては、「完全な演劇の台本」と「ドリフのコントの台本」 それくらいの違いかと思われますが。 ある程度のアドリブはあるにせよ、でも和井恵さんの考える「選択肢」よりは 多少狭いんでしょうね。
> > これって、相手のカルマをごまかす権限のある人、ってことになりますよね? > > その「表現」は、ちょっと違うような気も…
私も実はそう思います。(笑) 「変える」ってのも何か違う気がするし、「いじる」もどうかなあと思うし、 結局苦し紛れに出た表現が「ごまかす」だったわけです。 しかし、因もないのに果を与えることができる、というのでは やはり「ごまかす」「ごまかしてやる」ということにも通じるかと思いました。
> しかし、「何故カルマの法則を超えることが出来るのか」は「永遠の謎」ですけどね(笑)。
結局私の導き出した言葉が、 「吾は吾の上に天を作らず」でした。(笑)
> 大事な「手術中」に、「人格」が変わってしまって大騒ぎになった例があるのです。 > というのは、「新しく登場した人格」は、「麻酔が効かない体質」だったというのです(笑)。
それはそれは・・・。 地獄のカルマが落とせてよかったね。(爆) ・・・というところで、この「●●のカルマが落ちて良かった」 という思考方法なんですけど、 「落ちて良かった」と「自己責任である」という二つの思考パターンは、 同じようでいて少しニュアンスが違いますよね? 「落ちて良かった」は明らかに「喜覚支」が含まれていると。 でも「自己責任である」はかなり淡白な捉え方になりますよね? この二つには、メリット、デメリットのような、何か結果に差はあるんでしょうか?
私が思うに、「自己責任である」と考えるタイプの人って、 何も訊かれなければ「自己責任だ」とも言わず、 相談でもされたならそう言うかもしれませんが、 「落ちて良かった」という人は、喜びを与えるつもりで 「落ちて良かった」の飛び込みセールスをやらかしそうに感じるんですがね。
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