Message#4177 2006年6月19日(月)22時34分 From: 「○RIE〜〜〜〜っ」って呼び捨てにしたかな〜? | |
| 某公務員のダンナ方々も関与してたご縁が今年度で切れたんである程度本音の部分でもコメントさせていただきますね。
あべるさんのメッセージ(#4176)への返事
> そういう手合いに対して聖哀れみの心で接するにしても、そこに自他の区別、自分の方が > ましだと思う慢の心が入ってしまったら、その方達が明日の自分の姿なんですね〜。 > > でも他者否定→自己否定の陰気スパイラルモ〜ド、それもプライドを背景として屈折した > それにに陥りやすい者の場合にはどういうような心を使ったらよろしいのでせうかね。
よく教団関係者間でハバをきかせていると思い込んでいる信者並びに会員諸氏の皆様はよく「四無量心云々」を語られることが多く、 それに対して当方の感じているところと微妙にシンクロしてるのかな?(失礼だったらゴメンなさい、あべる様)と感じてのコメントなんですが、
「怒り、憤りの対象」→「聖哀れみを」との方程式を強調される方々、実に多いってか殆ど。 しかしながら、その背景には上記の「>そこに自他の区別、自分の方がましだと思う慢の心」だと言えると当方は感じます。
一例として、四無量心云々を知ったように言う人物知ってんですが、この人物、金欠や寝不足とかで追い込まれてくる(と言うよか自分で自分を追い込んでる)と、必ずや排他的思考に陥ってきます。自分の道(エゴ?)を阻む邪魔なものは排除あるのみ!って。 おいおい、聖哀れみじゃなかったの?
また、知ってる人で難病を抱えていた人がいまして、その人に対して哀れみの心抱くと、「嬉しくない、失礼だ、絶対同情はしないで欲しい」って…。
なぜ?「同情は最大の恥辱。『かわいそうだ、自分と違って病気なのはかわいそうだ』、って思われてもムカツクだけ、そんなん哀れみじゃなくて侮辱よ!」って。
じゃあどんな風だったらよい?「『かわいそうだ』、じゃなくて、『よくやっている、がんばっている、キミががんばっているから自分もがんばれる。だから、ありがとう、そして、がんばれよ』、って思われたらいいな。それがホントの哀れみじゃ?」って。
だからどうだとは一概には言えないけど、この人の例では、「“称賛”が背景にあって真の哀れみ」ってことなんかな?ってことかいな、と。
だから「聖称賛」の背景あっての「聖哀れみ」では?と。
ついでながら、愛があるからこその「嫌悪」なのかな?とも。 それが「自己愛」だかも知れないですが、愛は愛。これ以上話を長くするのも何なんで、結論としては、 四無量心は4つを別々にデジタル的に考えるより、それぞれが微妙に絡み合ってて、しかも三悪趣的な発想と表裏一体なのでは?なんて考え方もあるのかな?って感じてしまいましたってことです。
削除はお任せします。
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