Message#4549 2006年7月25日(火)21時04分 From: あべる | |
| 最古参さんのメッセージ(#4543)への返事
> 実は瞑想中に寝てしまっても問題ない。 > 寝てしまうほどのリラックスがないと「座」として不完全です。 > 最初は寝てしまうくらいでいいのです。 > 徐々に眠らなくなります。 となると私の段階では完全にリラックスできるのはシャヴァアーサナだけということになり ますね。ことに水温の高いときに水上シャヴァアーサナをやったら凄くリラックスできる と(笑)。少しでも力が入ると真水だと沈んでしまいますから。←半分冗談半分本気
> でもそれで緊張しては本末転倒です。 > あべるさんにの中では「完成形」のイメージがあってそれ以外は「不完全」と考えてはいませんでしょうか? > 繰り返します。 > 「座」「アーサナ」は「リラックスするためにあります」これで緊張しては瞑想になりません。 私の段階では、座法によって十分な瞑想段階というものを目指すのは無理だと思っています。 すなわちアーサナで身体を柔らかくして、あくまで理想的な座法というものをイメージして、 将来の目標としてまず「瞑想より基礎となる座法の練習」段階と考えています。その意味で は最近のアーレフでは昔のように初歩のアーサナの「コース」がほとんどされてないみたい なのは不満足ですね。昔の基本書とかヨーガタントラコースの資料・ビデオなどを参考に 我流でやったり、現世のヨーガ教室に通ったりの昨今。もっとも何ヶ月に一度かは非常に 密度の濃い基礎的な行法の指導もあるようで、これは行法指導専門の師をはじめ多数の師 がマンツーマンで指導という、掛け値なしで物凄く価値のあるプログラムみたいですが。
> 問題は「どの程度をしてリラックスといっているのか」ということですね。 > ハッキリいって寝るくらいが理想であると言っておきます。 > アベルさんはどうも「理想的に腰がはいる」ことにこだわりがあるようですが、インストラクターを目指しているのか、それとも霊性向上を目指しているのかでその「理想」は変わると思います。またその人の、いわゆるレベルでも異なります。 > インストラクターを目指しているなら昨今の事情ではかなりのものを要求されますが、霊性向上のためなら「リラックス」できる方が優先されるべきでしょう。 霊性向上の目標にもよるのでしょうけど、大それた高望みといえばそうなんでしょうけど、 そりゃあできればサマディまでを目指したいではありませんか。勿論その前に色々なレベル の瞑想段階はあるわけなんでしょうけど、私みたいなレベルの者でも、たとえばエネルギー 上げる行法の後で究竟過程のリラックスする時間が設定されてると多少の体験もできると。 でも座法が安定せずに脚が痛いと気が散ってしまうし、そういうプログラムの場合に極端に 言えばシャヴァアーサナでも体験できることは確かなわけですが、きっちりと座法を組めば 一層高い体験ができるであろうとは予想できるし、宗教研究家の好奇心から変性意識状態の そういう体験してみたいと憧れる面も確かにあるわけです(笑)。 キレーサ師やパッカ師のご著書読んだら、全力でエネルギー上げた後で妥協無くきっちり 座法を組んで究竟やったら凄い体験した、なんて記事があるけど、伝聞情報ではつまらない ですもんね。
それには将来はきっちりした座法を組めるようになりたい、たとえば1時間の究竟の時間に 脚の痛みに煩わされずに集中できるためには数時間組めるくらいの基礎的能力が必要なの ではないか、と思ってる次第です。歳は歳ですけど、佐保田鶴治さんでしたか、62歳から 修行初めて、完成形の写真など本でよく見ますもんね。まあ、高望み+あせりがあって、腰 の入れ方に無理があって逆効果になってるというご指摘はその通りだと思います。
座法の練習のつもりのときは多少負荷もかけて練習すると。それなりの段階の瞑想が目的 のときには分をわきまえて自分のレベルで無理の無い範囲にとどめると。最古参さんのアド バイスに従って、少なくともこのように軌道修正します。
現世のヨーガ教室でも、長くやってる若い人なんかは物凄く柔らかいので、ついついそれに 嫉妬して、また身の程知らずにもプライド丸出しになったりして無理をしてしまうと。先生 に「呼吸が止まるようなやり方は駄目!」といつも叱られてます(笑)。長年にわたって怒り のカルマを人の十倍は積み続け、酒ばかり飲んできた者が、持戒も守らずにプライドだけで 修行の真似事ができるわけないですよね(笑)。なぁ〜〜んてこんどは卑屈になったりして(笑)。
まあ、ぼちぼち無理せずに少しずつやっていきます。ほんの少しだけは進歩が見えること も ときにはありますから、それを楽しみに。
> シャヴァアーサナは完全な弛緩を体現するためにあります。本来的にはここでも意識は保っているべきですが寝てしまっても問題ありません。むしろそれくらいリラックスしてください。 > 「座」については過度な緊張があってはいけません。むしろ瞑想中に寝てしまうことがあってもいいくらいのリラックスがここでも必要です。しかし、意識を保っている必要もあるので多少の緊張もあったほうがいいのです。ですが、緊張に重きを置いてはいけません。
瞑想のための座法と、「手段としての『座法』の稽古」とを分けて考えるようにしたいと思います。
> 意識には3つの段階があると言われています。 > 1つ目は「起きている意識(表面の意識)」 > 2つ目は「夢を見ている時の意識(潜在意識。アストラル)」 > 3つ目は「夢さえも見ない深い意識(超潜在意識。コーザル)」 > 瞑想の目的はこの3つの段階を意識を保ったまま通過し、幻の第四段階 > 「トゥー・リア」に到達することにあります。 > そしてこの幻の第四段階は各意識と意識との狭間にあると言われています。 私はオウムの教義くらいしかそのへんになると知らないので、それも教学は全然なので歌 でごまかすことになりますが、 ♪有熟考にして有吟味にして第一ステージ無熟考にて無吟味からくる第二ステージ楽を もてば第三ステージ苦楽を捨断し第四ステージ 空をこえ意識を超えて全てを放つ 認識 から開放されてすべての経験を死滅す すべてが終わりカルマが消えて悟り離解脱完全無欠 具足をなし如意に生きる・・・ と、これで四禅を超えて上位コーザルへ、そしてニルヴァーナ、マハーニルヴァーナへって ことでしたっけ。そういった意味でのニルヴァーナの説き方と、三界それぞれの間により高い 意識の段階があるという説明の関連には興味深いものが無いではありませんが、言葉と理屈 で知識として知るよりも、もっとずっと低いレベルでもいいから体験してみたいですね。まあ 非常に低いレベルでの片鱗に触れるかどうかってところなんでしょうけど。
> ですので、「座」にはリラックスが求められるのです。緊張してては眠れません。 > 寝るほどのリラックスのなかに「トゥー・リア」が潜んでいます。 > リラックスを作り出していかに眠りには落ちていかないか。 > これが「腰を入れるのはほどほどに」と言う僕の主張の根拠です。 安楽座で猫背では弛緩しすぎですよね。中道というのが実際問題としてどの程度かわから ないからついつい極端に走ってしまいがちであるかと。
でも、練習すれば最終的には蓮華座が最も安定した座法となる、とネット検索などでも書いて ありますね。個人差もあるのかもしれませんが。一度側面のレントゲン写真を撮って腰の 入り方を研究してみたいもの。3DのCTなら一層よいけど、座っては撮れないでしょうな、 よく知りませんが(笑)。
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