Message#4552 2006年7月25日(火)22時08分 From: 最古参 | |
| あべるさんのメッセージ(#4549)への返事
> 最古参さんのメッセージ(#4543)への返事 > > 私の段階では、座法によって十分な瞑想段階というものを目指すのは無理だと思っています。
そんなことはありません。 「座」は大事ですがそれが全てであるとは思いません。 またなにをもって十分かは定かではないハズです。
> すなわちアーサナで身体を柔らかくして、あくまで理想的な座法というものをイメージして、 > 将来の目標としてまず「瞑想より基礎となる座法の練習」段階と考えています。
本末転倒です。 瞑想が一番重要なのであって「座」は付けたしです。 安定した「座」は必要ですが、毎日の瞑想ですこしづつ座を安定させることだってできます。 アーサナの修習を繰り返しながら瞑想に重きをおくべきでしょう。 僕なぞはアーサナはたまにしかやりません。
> 霊性向上の目標にもよるのでしょうけど、大それた高望みといえばそうなんでしょうけど、 > そりゃあできればサマディまでを目指したいではありませんか。勿論その前に色々なレベル > の瞑想段階はあるわけなんでしょうけど、私みたいなレベルの者でも、たとえばエネルギー > 上げる行法の後で究竟過程のリラックスする時間が設定されてると多少の体験もできると。 > でも座法が安定せずに脚が痛いと気が散ってしまうし、そういうプログラムの場合に極端に > 言えばシャヴァアーサナでも体験できることは確かなわけですが、きっちりと座法を組めば > 一層高い体験ができるであろうとは予想できるし、宗教研究家の好奇心から変性意識状態の > そういう体験してみたいと憧れる面も確かにあるわけです(笑)。
高望みではありません。 だれでも到達できるものだと思います。 ただ、あまりにも形に捉われてるので本末転倒であると繰り返しているのです。
> キレーサ師やパッカ師のご著書読んだら、全力でエネルギー上げた後で妥協無くきっちり > 座法を組んで究竟やったら凄い体験した、なんて記事があるけど、伝聞情報ではつまらない > ですもんね。
オウム・アーレフの方は極端すぎると思います。 全ては波で、解脱・サマディは波から離れることです。 全力で極限の行法を為すと反動が生じます。 これは最初のうちは仕方ありませんが、そのうち行法は使わないようにする必要があります(オウム・アーレフの師が成就してはいないという根拠の一つにこの極端性があります。つまり波を起こしてそれに乗っかっているいるうちはサマディは無いから) それに凄い体験に拘ってるようですが、LVが上がると体験は減ります。というかしなくなってきます。自分の中のサンスカーラ(潜在印象。これがカルマと共同して事象は起きる)を消すのが瞑想の主たる作業です。ですから高LVになればなるほど体験から解放されていきます(言葉を変えると体験に支配されなくなる。一切の無体験は支配から解放された証拠とヨーガではいいます)(体験に拘るあたりもオウム・アーレフの成就者が成就していない証拠だと思います。かつては僕も体験に拘り、そのためにそれを麻原によく諌められましたが、今となってはそれは逆に麻原が体験に固執していたためとよく分ります)
> まあ、ぼちぼち無理せずに少しずつやっていきます。ほんの少しだけは進歩が見えること > も > ときにはありますから、それを楽しみに。
いえ。 サマディなんてさほど難しいことではないハズなので頑張ってください。
> 非常に低いレベルでの片鱗に触れるかどうかってところなんでしょうけど。
高いも低いもありません。 その人にとっての経験をするだけです。
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