Message#5131 2006年9月9日(土)08時54分 From: 和井 恵 | |
| YASUさんのメッセージ(#5125)への返事
> 「維摩居士」は、実際に存在したかどうか分かりませんが、
架空の存在らしいですね。
> どこかの浄土(阿しゅく如来だったか?)から人間界へ転生してきたらしいですね。 > そして、あの文殊菩薩をも凌ぐとかいう?説法をしたと。 > 創作だとしたら、よく考えついたものだと感心しますね。
それは大乗仏典すべてに言えることですが、それらが完成するまでには かなり長い期間が掛かっているようですね。 誰か一人が考えたというより、複数の人たちの「合作」のようです。
> 「大乗仏教」として割り切れば、それもいいのではないかと思います。
完全に「別もの」として認識しているのなら、別に問題はないと思います。
> > 「カルマ(因果律)」に囚われていたままでの「修行」では、 > > 例えば、999人の殺人を今生で犯した「アングリマーラ」などの解脱は > > まったく不可能だったはずなのです。 > > 「アングリマーラ」が、もし、お釈迦様に出会わなければ、 > 「カルマ(因果律)」の作用によって地獄のカルマが解放されて、 > 殺され、ついには地獄へ転生してしまったと思いますね。 > > で、出会ったとき、 > お釈迦様がその「カルマの現象化するのを止めた」と考えることも出来ますな。 > ア〜レフの信者ならそう考えるかも。 > そして、成就したあと、一気に現象化したと。
別に、わざわざ「カルマ(の法則)」などを持ち出さなくても、 常識的に(普通に)考えても、本人が「生まれ変わった」からと言って、 彼が昔犯した犯罪を知っていて、恨んでいた人たちも大勢いたのでしょうから、 彼らから「仕返しをされる」のは、当たり前かと。 「当然(自然)の流れ」でしょうね。
> 不還(五下分結を断じた者)でもないような気がしますけど。
私も、「不還(五下分結を断じた者)」まで到達しているかも疑問ですね。 しかしまあ、教祖の話の内容などを参考にして「論」を進めていくと、 とりあえずはそういえなくもない^^;
> あ、一度はそういう状態になったかもしれないですが、元に戻したという感じですかね。
ま、「好意的」に考えれば、ね。
> いつ、お話してくださるんでしょうか?
これのことですね。
|※私は、オウムに入る以前から、最後の「想受滅(滅尽定)」を成就した人を“阿羅漢”と呼び、 |“仏陀”と呼ぶのだという認識があり、その考えは今でも変わっていません。 |ですから、私は“尊師”の説いた「供養値魂」から始まる、階層的(ヒラエルキー)な「仏の十号」を、 |最初から信じていませんでした。 |そして、どうして“尊師”が「わざと(本当のことを知っているくせに)」 |そのようなことをしていたのかという、その理由も自分なり に理解していたつもりです。 |この話も、いずれまた…
要するに、釈迦の教団では「ゴール(到達地点)」とされていた“阿羅漢”を、 オウムでは、途中のステージの「マハー・ムドラーの成就」に当てはめてしまった。 これは、「阿含宗のおしえ」への「対抗処置」で、自分たちの「優位性」を見せつけるため。 しかしそうすると、それ以上の「釈迦の教団との対応するステージ」は無くなってしまうので、 何とかして「それに対応できる新しい何か」を捻出しなければならなくなった。 そこで、目を付けられたのが「仏の十号(十種類の尊称)」だった、ということ。 元々は「十種類の側面(並列)」だったものを「十種類の階層(縦列)」にしてしまった。 で、そこに適当な説明を付け加える。 オウムの「十号」の説明は、よく読むと「情緒的(ムードだけ)な説明」が多い。 つまり、何故そう(階層構造に)なっているのかという「理論的な説明」になっていない。 ムード先行型の説明のみ。
まぁ、教祖の説法は、元々そんなに「理論的」ではないけどね…
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