前編 17歳で愛知特別少年院に入ったおり、図書係をしていたから、読書の機会に恵まれた。 そこで巡りあった本に、 チベット旅行記 難しい内容だったが、どうにか読み終えて、 ヤツガレは少年院を仮退院したら、チベットに旅行したいと言う願望を抱き、チベットに憧れたのである。 ヤツガレ少年院から仮退院した後、チベットに旅行を計画するのであるが、その道は厳しい。 今でこそ、旅券を取得すれば、国内旅行より安い費用で、チベットに行ける。 ところが、当時は一つの中国とは、中華民国なのである。 現在の台湾が唯一の中国なのである。 大陸の中華人民共和国とは国交を樹立していないから渡航出来ない。 この壁が立ちはだかった。 ヤツガレ、父親に相談すると 坊主、行かせてやる。 と言うではないか。 その舞台裏は、日中友好議員団に同行することである。 衆議院で日中問題をやらせたら、その右に出るものない日本社会党穂積七郎代議士等々に同行出来るように父親が手配してくれたのである。 羽田から北京に飛んだ、ヤツガレを待っていたのは、 父がかつて大日本帝国陸軍憲兵中尉として 中国大陸の戦場で命を助けた中国マフィアの幹部連中である。 こうした人々が 中国共産党にどの様に働きかけてくれたかしるよしも無いが、軍用機で成都に飛んだ後、軍用ヘリコプターで、ラサに入りそこに、1ヶ月程滞在して、写真撮影をして過ごした 特に五体投地は多数組み写真で撮影している。 穂積七郎代議士が衆議院本会議で、佐藤栄作総理をつかまえて、 財界の男妾 と発言して、選挙で落選してから、ヤツガレの従兄で日本社会党太田一夫代議士等に同行して、北京入りチベットに別行動 やがて日中国交樹立、 兎に角、インド、ネパール、チベットを訪れること数えて見ると44回になる。 又、中国国内の寺院を参拝して、種々勉強しているが、五体投地について、その詳細を数日後、書いてみたい。 |