PC壊れたので友達のPC借りながら@元芝さんのメッセージ(#23875)への返事 >これがサットヴァ優勢の人だと >「自分は仏になった!解脱した!」 >とかやりだすんです。 >どっかの誰かみたいに神々の示唆とか言い出して自分の心が生み出している幻に支配されるようになる。 >変な数字とかだしてね。 あのね。 私を暗に当てこすっているようだけど(^^;) 私は 「自分が正しい!」 と主張したことは一度もないよ。 「こういう発想もある」 と提示しただけで。 むしろ、君のほうがかなり断定口調だろ? それと 「自分は仏になった!解脱した!」 といったこともない。 あるなら、提示してみな。 まあ、確かに 「覚醒した」 とは云ったよ。 でも、それは「迷妄の闇に光が差した」くらいの意味合いだよ。 それから、サットヴァ優勢云々だけど 自分はそれを怪しいと感じていた。 だって、一点の曇りも感じない心の状態は、生まれて初めて感じる状態だからだ。 私は物心ついてからこのかた、生まれ育った裏日本の天気のように決して快晴のない心理状態だった。 それが、物凄いクリアな状態になっているのだから不審に思って当然だ。 「もしかしてキ○ガ○が『俺は狂ってない!』と異様な自信で断言する状態がこれか?」 と否定的に考えるのが私の心癖だからね。 現に、カミさんにも言われたよ。 「お前の言うことは正しいかも知れんが、 私を小馬鹿にするような表情と口調と声のトーンは狂っているとしか言えない!」 とね(´`;) つまり潜在意識が相当表出していたのだろう。 >つまり、こういう大勢の人がいるところに来て自分自身の修行成果を語るなど「特殊な体験への囚われ」でそれをたよりに自慢し、 >自ら自身の名声を得んとする言動行動になっている。 >つまりは「増上慢」の「煩悩」であると。 >要するに驕り、それで自己を喧伝するということは絶対にあってはならないことであり、 >修行とは「陰徳」で、陰徳というのは、表に出さなくても必ず修行の継続は「聖」なる結果を生み出す、 >修行は「質」であってそれは静かに押し殺して自らを養うことだということです。 素晴らしい言葉だね(´∀`) 拡大コピーして、自戒のために見やすいところに貼っておくよ。 ただ、カミさんに7年間叱られ続けて、やっとまともになってきたことが >自分自身の修行成果を語るなど「特殊な体験への囚われ」 だとは夢にも思わなかったけれどね(^^;) まあ、君が云うなら、「僕(しもべ)の修行」としては最高の体験だったのだろう(´∀`) >自己を喧伝するということは絶対にあってはならないことであり 「上求菩提」つまり解脱・悟りを求める段階では、確かに君の言う通りさ。 でも「下化衆生」の救済の段階では違ってくる。 積極的にアピールしなければ、本来は救われる魂も、こちらに気が付かずに終わってしまう怖れが生じる。 そもそも、君はいつ下化衆生に向かうんだい? 周りがどんな苦しみのどん底にあろうと、自分が完成する迄、動かないつもりかね? 武術にもあるよね、こんな話が。 ある人が初段になったら人に教えようと頑張っていたと。 そして、初段になったが、自信がないので二段になったら教えようとした。 後は、この繰り返しだ。 結局、一生、教えずに終わったという。 だいたい、私だって、本音を云えば面倒なことは真っ平御免だ。 元々、「長」と名の付くものは、敢えて避けてきた無責任人間だからね。 そんな私でも、やらなければならない時はやり、言わなければならない時は言う。 それは、例え大幅に未完成な状態であってもだ。 そもそも菩薩とは、仏陀と違い、完成された状態で救済する魂ではない! >徹底した「否定」だけが真実を見分けます。 仰るとおり。 寂止を経ないで、照観を行ってはいけないように、 修行の第一歩は完全否定から始まる。 |