ガードナーさんのメッセージ(#6630)への返事 > リンポチェさんは元信者さんでしたか。 ええ、極めて不真面目な信者でした。 > 私は初期に出た「生死を超える」や「秘密の開発法」などで > 仏教やヨーガの基本かつ最も必要な部分は説明され、 > またそれは麻原自身が最初にやろうとした宗教、 > 麻原自身が憧れた宗教なのかなと思ったんです。 知識の内容の正否はともかく、(この正否は私よりシヴァナンダさんの方が適任) 目指すべきところ、として今後上祐さんが捉えるべきは、 確かにその初期の書籍にある世界です。 まずは理想の建て直しってところでしょうな。 > 私は素人ですが、宗教の本質的な部分はそんなに多くないと思うんですよ。 > ヨガの技法とか色々あるのでしょうけど。 多くない、というよりひとつです。 解脱、というところに最終的には集約されてしまいます。 一応「教義」という場合、特にオウムの場合は方法論、 つまり技法も含まれますから、単元の数としては多くなってしまうのです。 > 教団は色々な教義を取り入れましたが、付け足しだと思うんですよ。 > 説法がたくさんあるのは私も知ってましたが、 > 私には教義というよりつじつま合わせに感じてしまうのですよ。 つじつまを合わせる気があったかどうか・・・。 つじつまを合わせなければならない、と考えるのは オウム流に言うなら現世の思考だと思うんですね。 最終的には、合おうが合うまいが、とにかくグルについていく! みたいなヤクザ組織と同様な性質の団体になってしまったのは事実です。 > (私はまだATAを読んでいないので、的外れかもしれませんが、 > ヴァジラヤーナという危険とされる教義を取り入れたことについては、 > こう思っています。おいおいサイトも読みます) あるかないか、と言われると、最初からあったでしょうね。 つまり後から取り入れたわけではなく、 最初からあったものをいつ公にするか、という問題だったのではないかと。 > 地獄については疑問があります。 > グルや教団を離れるのは悪業だったのではないのでしょうか。 自業自得、というフィールドで捉えれば「悪業」だったと思いますが、 規則違反、というようなニュアンスでの「悪業」ではなかったと認識しています。 つまり、「悪業」の定義がオウムと一般とでは少し違うのです。 オウムで「悪業」と言った場合、それは 「解脱の妨げになったり、ステージが下がったりして、後々自分自身が困る行い」 のことを指していました。 だから、一般で言う「悪業」とは全く違った意味で、 しかし行いの内容としては一般で言う「悪業」も含んで、 なおかつ普通なら何でもないようなことまで「悪業」と定義し、 それによって律(まあペナルティみたいなもんです)が課せられたと。 その意味では、オウムで「あいつは悪業を積みすぎてるから、カルマ落としを」 という場合、それは「小さな親切、余計なお世話」というニュアンスが かなり濃厚であると思われます。 まあ方法論がエスカレートして、「小さな親切、相当迷惑」にもなりましたがね。(笑) > 修行でさえも教義上は修行でしょうけど、事実上懲罰になってしまい、 > サマナの側も懲罰と認識していたと報道されていた思いますが、 > ガセネタでしょうか。 これは現在各地で行われている「死刑」も、 起源を辿ればそのようなものであった、ということがわかります。 生き埋めなど、それは懲罰ではなく、宗教上の罪人の封印だったようなものです。 でも埋められる方からすれば、懲罰と映りますわね。 そして埋める方も、原義が忘れられてくると、懲罰と認識し始めます。 ですから、修行という名の懲罰については、 ガセネタではないと思います。 > しかし、私は初めはオウムが存続してる問題について書こうとしていたのですが、 > なぜか教義の話になってしまいました(笑)。 それはしかたないです。 なぜなら、オウムが存続している問題について考えるとき、 教義、そしてその教義に対する周囲の理解度、など 多角的に考えなければならないからです。 「あれをやった。責任とって消えろ。」というような そんな簡単な話ではないのですから。 そこまで「被害者」と「加害者」という図式が単純に成り立っている、 というわけでもありませんのでね。 |