麻原はよく他人のカルマを受けたとかほざいていたようですが、 それは自分が病気になったり、事故にあった時のための逃げ口上に過ぎません。 もし風邪を引いたのなら、自分の健康管理が不十分だっただけ。 車を壁にぶつけたなら、運転技術が未熟なだけ。 他人のカルマなど関係ありません。 それを最初に聖者は病気にならないとか、怪我しないなどと思い上がるから、 いざ自分にアクシデントがあった時は、 信者が修行しないからカルマを受けたなどと、 人のせいにしてはいけないはずなのに、人のせいにするんです。 たとえ相手を傷つけても。 仮に百歩譲って、 他人のカルマを受けることがあることを前提に話を進めるならば、 受けたカルマも自分のカルマです。 人のカルマを受けるカルマがあったのであり、 受けたカルマは結局最初から自分のカルマなのです。 麻原が何もしゃべららくなって奇行に走るようになった理由は、 シャクティーパットで信者のカルマを沢山受けたのは間接的な原因でしかなく、 直接的な原因は、すべて麻原本人が犯した悪業に起因するものです。 他人のカルマを受けたという現象は、 カルマが他人経由で本来の所有者の自分に帰ってきたというだけのことです。 よって、中堅幹部が在家信者と面談して、 性欲のカルマを受けてジンマシンが出てきたのであるらば、 それはその幹部が沢山オナニーをしたカルマが返ったためです。 あるいは、エロ本を買ったカルマが返ったためです。 他人は関係ありません。 しかし、それではなぜ成就者のはずの人間に性欲のカルマの兆候がでるのかといえば、 それはその人がスケベだからです。 女性を性の対象として見ていて、好んでいるからです。 それなのに、幹部は聖者ぶりたいから、自分のスケベさを「証知」できないんです。 証知できないから「無知」なんです。 無知だから「成就」と麻原から認められるんです。 一般人は、うぶな人を除けば、大抵自分のスケベさは認めます。 証知しています。 一般人は、カルマを受けたなどと人のせいにするならば、おかしいと感じます。 智慧があります。 一般人は、麻原から見下されます。 けど、彼に認められるようでは終わりです。 麻原にとってのカルマ理論とは、 自分のプライドを満たすための道具であり、 その害は、元々自己顕示欲の強い信者を、更に傲慢にさせたんだと思います。 |