Message#3203 2006年3月19日(日)19時44分 From: 和井 恵 | |
| 聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(#3200)への返事
> ・・・というところで、この「●●のカルマが落ちて良かった」 > という思考方法なんですけど、 > 「落ちて良かった」と「自己責任である」という二つの思考パターンは、 > 同じようでいて少しニュアンスが違いますよね? > 「落ちて良かった」は明らかに「喜覚支」が含まれていると。 > でも「自己責任である」はかなり淡白な捉え方になりますよね? > この二つには、メリット、デメリットのような、何か結果に差はあるんでしょうか?
「自己責任」は、「他から受ける苦しみ」に対して「怒りや嫌悪が生起する」ことを 「抑制する効果」がありますが、それに対して「落ちて良かった」方は、「受けた苦しみ (アンラッキー)」や「生じた怒り」を「喜び(ラッキー)」に「変化(転換)させる効果」 があるのです。
「自己責任」の持つ副作用は、これを「盲信(万能薬化)」して「自分以外」のケース(事例)に 応用してしまう危険性(誤用する恐れ)があるということ。 これはあくまでも「自己使用のみに限定」しなければなりません。 他の人に生じた苦しみを「他者責任(それはお前の責任だ)」と言って「決めつけ(押しつけ)」 てしまうのは「無知」によるものです。この「考え方」に囚われ過ぎると、「ありのままにモノを 観る力」は永久に身に付かないでしょう。 「法は捨て去るべきモノ(筏の喩え)」なのです。
「落ちて良かった」の持つ副作用は、「苦しみを受ければ必ず因は消滅する」はずだ、と勘違いして しまうこと。この「受け取り方」は、「一時的な苦しみ(ケガをするとか)」に対しては有効なので すが(理由は、時間が経てば苦しみそのものは自然と消えるから)、「継続する(慢性的な)苦しみ」 に対しては、ほとんど効果はありません。むしろ「有害」なのです。 例えば、「強迫観念」や「トラウマ」からくる「心身症」などの「苦しみ」に対しては、その「本源となる 因」を「証知(受知)」する意外に「苦の滅尽」は有り得ません。 ですから、このような人たちに「落ちて良かった」ことを「無理強い」することは「さらに新しい苦しみ」 を生み出しかねないのです。 > 私が思うに、「自己責任である」と考えるタイプの人って、 > 何も訊かれなければ「自己責任だ」とも言わず、 > 相談でもされたならそう言うかもしれませんが、 > 「落ちて良かった」という人は、喜びを与えるつもりで > 「落ちて良かった」の飛び込みセールスをやらかしそうに感じるんですがね。
そうかも知んないね(笑)。
「カルマの法則」って、「日本人好み」のような気がします。 「勧善懲悪的」で、「倫理観(悪いことをしてはいけないんだよ)」を守らなければいけない「理由」を 説明するのに、とても「適した教え」だと思うのです。 喩えて言えば、「水戸黄門さまの印籠」に似ているような気が… アーレフの「大宇宙の法則」という「表現」に対して、「お天道様はちゃんと観ているんだぞ!」という 「雰囲気(ニュアンス)」を感じてしまうのは、私だけかしら?
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