![]() セイラさんのメッセージ(#31481)への返事 > > 注・この突っ込みは「冗談」です。レスを返す必要はありません。 > > そんなお言葉に従うセイラとお思いかな?かな?(笑) 必要がない、と言っているだけで「するな」とは言っていません。 > > 自分と他人がホントに同じだと思っているのならば、 > > 「自分の怒弾」と「他人の怒弾」をかち割るのは「同じこと」ですよね。 > > それでは何故、一番身近にある「自分の怒弾」をかち割らずに(その方が簡単でしょ?)、 > > わざわざ遠くにある「他人の怒弾」をかち割ろうとするのでしょうか? > > 何故そこで、より「面倒くさい」選択をしてしまうのでしょうね? > > 答えはカンタン! > 自分のドタマをかち割ると、痛いし死んでしまうからでしゅ☆ そこで、「自他同一」ならば、他の人も「ドタマをかち割ると、痛いし死んでしまう」ことが解りますよね。 釈尊がバセナーディ王と、そのお妃のマッリカー夫人に説いた教えは、 人は誰でも自分が一番大切なのだから、自己を大切に思う人は他をも大切にしなさい、 というものでした。 天上天下 唯我独尊 三界皆苦 我当度之 という言葉も、これと深い関係があります。 (これは、俺様だけが偉いのだ、なんて言っているのではありません) > 「自他同一」の概念を持っていても、 > 嫌なヤツ相手なら「ぶっ殺しちまえ」と変貌する。 > その行為すら自分にとって都合の良い思考で処理する。 それが「なんちゃって自他同一」なんだよね… 概念で考えているだけだから、本物の体験をしていない。 > 「自他同一」とはエゴからの脱却だと思いますね。 あのね、エゴ(個我意識のこと)はあってもいいの。その本源としっかり繋がっていればね。 個我は「洋服」のようなものだから、上手に着ればいいだけの話し。 ただ、その本源としっかり繋がるためには、一時的に個我を殺す(停止させる)必要があるけど… 喩えて言えば、多重人格のようなもの。 とてつもなく大きな「私(真の自己)」が在って、 そこから様々な役割を持った(必要に応じた)疑似人格が生まれてくる。 それらが、あまりにも分裂しすぎて上手くいかなくなると、 それらを「統合する(仲良くさせる)役割を持った人格」がその時に顕れて来る。 こんな感じでイメージすれば、まぁ、当たらずとも遠からず…かな? |