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#31495 2010年2月7日(日)07時06分
From: 和井 恵 
Subject: Re5:.ひぐらしのなく頃に:「第四巻・絆」 祭囃し編と賽殺し編のゲーム画面公開

セイラさんのメッセージ(#31481)への返事

> > 注・この突っ込みは「冗談」です。レスを返す必要はありません。
>
> そんなお言葉に従うセイラとお思いかな?かな?(笑)

必要がない、と言っているだけで「するな」とは言っていません。


> > 自分と他人がホントに同じだと思っているのならば、
> > 「自分の怒弾」と「他人の怒弾」をかち割るのは「同じこと」ですよね。
> > それでは何故、一番身近にある「自分の怒弾」をかち割らずに(その方が簡単でしょ?)、
> > わざわざ遠くにある「他人の怒弾」をかち割ろうとするのでしょうか?
> > 何故そこで、より「面倒くさい」選択をしてしまうのでしょうね?
>
> 答えはカンタン!
> 自分のドタマをかち割ると、痛いし死んでしまうからでしゅ☆

そこで、「自他同一」ならば、他の人も「ドタマをかち割ると、痛いし死んでしまう」ことが解りますよね。
釈尊がバセナーディ王と、そのお妃のマッリカー夫人に説いた教えは、
人は誰でも自分が一番大切なのだから、自己を大切に思う人は他をも大切にしなさい、
というものでした。

天上天下 唯我独尊 三界皆苦 我当度之 という言葉も、これと深い関係があります。
(これは、俺様だけが偉いのだ、なんて言っているのではありません)


> 「自他同一」の概念を持っていても、
> 嫌なヤツ相手なら「ぶっ殺しちまえ」と変貌する。
> その行為すら自分にとって都合の良い思考で処理する。

それが「なんちゃって自他同一」なんだよね…
概念で考えているだけだから、本物の体験をしていない。


> 「自他同一」とはエゴからの脱却だと思いますね。

あのね、エゴ(個我意識のこと)はあってもいいの。その本源としっかり繋がっていればね。
個我は「洋服」のようなものだから、上手に着ればいいだけの話し。
ただ、その本源としっかり繋がるためには、一時的に個我を殺す(停止させる)必要があるけど…

喩えて言えば、多重人格のようなもの。
とてつもなく大きな「私(真の自己)」が在って、
そこから様々な役割を持った(必要に応じた)疑似人格が生まれてくる。
それらが、あまりにも分裂しすぎて上手くいかなくなると、
それらを「統合する(仲良くさせる)役割を持った人格」がその時に顕れて来る。

こんな感じでイメージすれば、まぁ、当たらずとも遠からず…かな?

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