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#32574 2010年3月6日(土)01時15分
From: 聖者ぼんちリンポチェ
Subject: Re15:増えた神札。?
さくらさんのメッセージ(#32568)への返事

> なるほど〜。
> 信じてない人には無効なんですか〜。

信じてもいない、結果も知らない、
こんな人の側でお経読んでも、その人はウザく思うだけ。
じゃあその人の知らないところで読んだら・・・
追善回向があるじゃないか、と言われるかもしれないけど、
それは、魂が一時的にこちらに戻ってきている、とか、
七日ごとに裁判を受けている、とか、
明確に「用途」があるわけでしょう?
でも生きている人にとっては、
そういう直接的な役には立たないわけです。
だから本人が知らないところで読むのもほとんど意味無し。

あくまでも生きている間に関しては、
本人が読むべきものです。
死んでしまったら話は別ですよ。
もし、死後に意識があるとしましょう。
そしたら、絶対戸惑ってるはず。
死んだと信じられないでいるか、
死んだら何もない、なんて言ってたのが間違いだったと知り、
先行きを恐れてひどく後悔でもしているか。
そういう場合の助けには十分なるはずです。

だから、慈悲の策として、
お葬式は出してあげる方がいいし、
49日までの追善回向もしてあげる方がいい。
仮に死んだら終わり、だった場合、
「無駄なことすんなよ!」と思う意識さえないのだから、
特に被害者は出ません。(せいぜい家の財布くらい?)

> チベットじゃあ生きてるうちに枕元でお経を唱えて
> 行き先間違わないようにするんだってなんかで読んだから
> お経読んであげればいいのか〜って思ってたんだけど、
> チベットの人たちは信仰心あつそうですもんね〜。

この場合、たとえ死後の世界なんてなかったとしても、
死ぬ前の気持ちを安らかにできる、
という明確な効果がありますから、無意味ではありません。
しかし、死後なんかない、と言っている人たちには、
あらゆる角度からお経は無意味です。
死の恐怖は、死後の世界の存在を前提としていなければ、
お経では取り去れないし、緩和することさえできません。

死後の世界を、恐ろしいもの、として認識していれば、
「死後何もない」というのは何とも魅力的ですよ。
本当に何もなければどれだけいいだろう、と思いますもん。

> ああ、そ〜いえばこれで○○さんは仏弟子としてうんぬんっての葬式で聞いたことあるような
> んじゃ母ちゃん決定的に拒否だろうな〜。

生前はね。
ただ、この点に関しては生前の意思というやつを、
「死後なんてないから」という理由であるならば、
尊重してあげる必要はないと思います。
沢庵和尚みたいに、悟りきった上で、
「葬式もすんな。墓もいらん。」というのであれば話は別ですが。

> んじゃお経は純粋に自分の為に使うか〜。

そう、自分のために使って下さい。

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