さくらさんのメッセージ(#32568)への返事 > なるほど〜。 > 信じてない人には無効なんですか〜。 信じてもいない、結果も知らない、 こんな人の側でお経読んでも、その人はウザく思うだけ。 じゃあその人の知らないところで読んだら・・・ 追善回向があるじゃないか、と言われるかもしれないけど、 それは、魂が一時的にこちらに戻ってきている、とか、 七日ごとに裁判を受けている、とか、 明確に「用途」があるわけでしょう? でも生きている人にとっては、 そういう直接的な役には立たないわけです。 だから本人が知らないところで読むのもほとんど意味無し。 あくまでも生きている間に関しては、 本人が読むべきものです。 死んでしまったら話は別ですよ。 もし、死後に意識があるとしましょう。 そしたら、絶対戸惑ってるはず。 死んだと信じられないでいるか、 死んだら何もない、なんて言ってたのが間違いだったと知り、 先行きを恐れてひどく後悔でもしているか。 そういう場合の助けには十分なるはずです。 だから、慈悲の策として、 お葬式は出してあげる方がいいし、 49日までの追善回向もしてあげる方がいい。 仮に死んだら終わり、だった場合、 「無駄なことすんなよ!」と思う意識さえないのだから、 特に被害者は出ません。(せいぜい家の財布くらい?) > チベットじゃあ生きてるうちに枕元でお経を唱えて > 行き先間違わないようにするんだってなんかで読んだから > お経読んであげればいいのか〜って思ってたんだけど、 > チベットの人たちは信仰心あつそうですもんね〜。 この場合、たとえ死後の世界なんてなかったとしても、 死ぬ前の気持ちを安らかにできる、 という明確な効果がありますから、無意味ではありません。 しかし、死後なんかない、と言っている人たちには、 あらゆる角度からお経は無意味です。 死の恐怖は、死後の世界の存在を前提としていなければ、 お経では取り去れないし、緩和することさえできません。 死後の世界を、恐ろしいもの、として認識していれば、 「死後何もない」というのは何とも魅力的ですよ。 本当に何もなければどれだけいいだろう、と思いますもん。 > ああ、そ〜いえばこれで○○さんは仏弟子としてうんぬんっての葬式で聞いたことあるような > んじゃ母ちゃん決定的に拒否だろうな〜。 生前はね。 ただ、この点に関しては生前の意思というやつを、 「死後なんてないから」という理由であるならば、 尊重してあげる必要はないと思います。 沢庵和尚みたいに、悟りきった上で、 「葬式もすんな。墓もいらん。」というのであれば話は別ですが。 > んじゃお経は純粋に自分の為に使うか〜。 そう、自分のために使って下さい。 |