아벨(Abel)さんのメッセージ(#33154)への返事 > > 南無大師遍照金剛身、なんだそうです。 > > しかし、空海の潅頂名が遍照金剛、 > > つまりヴァイローチャナ・ヴァジュラなのであって、 > > 金剛身、つまりヴァジュラカーヤとは何の関係もありません。 > > ヴァイローチャナヴァジュラがどうして「身」つきに? 密教の考え方から「金剛身」という言葉を見つけたんでしょうな。 それくらいしか理由が思い当たりません。 そこまでして、既成の真言宗と一線を画したかったんでしょうかね。 新義真言宗あたりにいきますと、 「南無遍照金剛」と唱えることはありますけど、 余計なものを加えるってのはどうなんでしょうねえ。 > どっかのカルトが何でもあり、ヒンドゥーから基督から何でも取り入れてたのよりむしろ > 酷いような気もするのですが、、、あっちはあっちで一応筋道が通ってたような気が・・・ 平安末期には、真言宗にも浄土思想は入ってきていたんです。 念仏という発想はその頃からすでにあったんですが、 ちょっと露骨な取り入れ方・・・いわば宗派のミックスみたいになっているんです。 調べたら、真宗大谷派が入ってるんですね。 和讃の内容を聞いていたら、信仰の仕方が親鸞さん的でしたから。 > 念仏でトランス状態になるっていうのは聞きますよね。なんていうのでしたっけ、、、でも > 異常だと否定的に見ちゃいますか?? 管理人は幕屋でトランス状態になって皆が祈ってる > 映画など見せられますと、嗚呼なんて素晴らしい、自分も一緒にトランス状態に入りたいな > と思ってしまいますのです。にぱ〜☆ まあ、教団施設でやっているのを見たら、 それほど異常には見えないかもしれません。 しかし、場所が場所です。 どう考えても「南無阿弥陀仏」とは言わない場所ですもん。 基本的に御廟で唱えるのは、坊主なら 理趣経、弥勒真言、光明真言、南無大師遍照金剛、南無大明神くらいです。 在家の人なら理趣経が般若心経に替わるくらい。 弘法大師の御廟でしかない場所で、 中山不動尊や開祖覚恵上人への帰依を唱えられても、 お大師さんが困ってしまうでしょう。 しかも、絶叫大会を南無大師遍照金剛でやってくれるのならいいですが、 なぜ南無阿弥陀仏でやるんですか?という疑問が拭えないんです。 明らかに場違いなことをやっていると、やっぱり異常な雰囲気になりますよ。 |