PC壊れたので友達のPC借りながら@元芝さんのメッセージ(#24462)への返事 > サンマヤは実際には「客体と対象の境目が曖昧になった微妙な状態で対象物にマインドの力で働きかける技術的瞑想」です。 > ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ。とはまた別のことです。 ガーン…。初めて知りました。ヨーガスートラに、 ダーラナー・ディヤーナ・サマーディの三段階がサンヤマだ、みたいに書いてあったような…。 > サマディ直前はマインドの機能から開放されているので「経験する」ということがありません。なので「記憶」しません。 僕も前々から、サマディ中のことが「記憶に残る」って変じゃない?と、 よく疑問に思っていました。サマディの直前から、記憶しないのですね。 > 長い長いクリヤ行法の果てに自らの肉体や心理器官・内的身体が浄化され、深い瞑想状態の果てにマインドが機能を停止した後、サマディはたち現れる、あるいは向こうから「やって来る」 意外に、受動的な体験だったのですね…。 ラーマクリシュナが、「おお、神よ、こちらに降りてきて下さい」みたいに、向こうにお願いしてサマディに入っているような記述がよくあったと記憶していますが、バクティヨーガに限らず、ラージャヨーガにおいても、受動的にサマディに入るものなのですね。 そして、やはり、総合的に修行を進める必要があるということですね。 > なのでサマディは「待つしかありません」それも「マインド機能停止」という極めて困難な状態を一日に何時間も持続、あるいは何日も持続しないといけません。 そういう風に聞くと、サビカルパサマディ(でしたっけ?)や、無住処涅槃といった、サマディに入りつつ、二元の世界でも生活するという境地は、ちょっと、桁外れ過ぎて、半端じゃないですね。ありがとうございます。 |